頂点を極めて夢を実現してきた人々の思考・行動を福島正伸が「夢を叶える10の法則」として体系化し、今回初めてその内容を公開いたします!
すべての法則が、ビジネスやリーダーシップですぐにでも使える実践ノウハウです。

内容は、不可能を可能にして夢を実現してきた3名と福島正伸の初コラボの講座です!

13:00~15:00

【第1部】「夢を叶えたアスリート」パネルディスカッション

 ■出演アスリート
 中嶋千尋 【ゴルフ】
  初優勝、米ツアー後から長い低迷・逆転の発想で掴んだ奇跡の3勝
 宮澤ミシェル 【サッカー】
  外国籍に翻弄され続けながらも・心折れることなく努力した先の栄光
 吉村禎章 【野球】
  天才打者が絶頂期に絶望的大怪我・432日の努力と驚異の復活劇

 ■コーディネーター
 福島正伸

  •  ゴルフ、サッカー、野球のそれぞれの世界で活躍したトップアスリートが「どのようにして夢を叶えてきたのか」を全て公開!不可能を可能にする習慣とは?どんな困難な出来事も好転させる方法とは?
     経営者やビジネスの最前線で活躍している方々にも”目から鱗”の考え方や行動、生き方を直接聞くことができます!
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15:15~17:30
【第2部】「夢を叶える10ヵ条」福島正伸講演

 これまでに数多くの企業家を育て、組織活性化や新規事業立ち上げ、地域活性化支援の専門家として活動してきた福島正伸による、「夢の叶え方」を余すことなく伝授します!
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18:00~20:00
【VIP限定】交流レセプション

 VIPにてお申込み頂いた方限定のレセプションでは、3名のアスリート講師や福島正伸と自由に交流することができます!セミナーに参加して聞きたくなったことなどを、講師陣に直接尋ねることができます!トップアスリートたちの生の姿に触れる絶好の機会です!(VIPでのお申込者限定)

 

 私は一生涯、夢を持ってワクワクしながら生きていきたい、と思っています。
 しかし、夢を叶えるためには、たくさんの困難や問題を乗り越えていかなければなりません。その中で、不可能と思えるような状況になってしまうことも何度かあるでしょう。
 不可能を可能にして、夢を実現するためにはどうしたらいいのでしょうか?はたして、どんな夢でも叶える方法はあるのでしょうか?
 私は、人類の歴史はまさに不可能を可能にしてきた歴史だと思います。今、私たちがこうして現代に生きていること自体が、まさに過去の人々から見れば、まさに夢の中に暮らしているといっても過言ではないでしょう。さらに、これから100年後、いや10年後にどんな世の中になっているかは、誰もわかりません。それは、想像を超えるような世界かもしれません。
 しかし、それは誰かが考えた世界なはずです。
 人間が想像できることは実現できます。私たちには無限の可能性があるのです。その無限の可能性を最大限に発揮して、感動に溢れた人生を送るためには、どうしたらいいのか?
 今回、野球、ゴルフ、サッカーの3名の元トップ・アスリートをお招きして、不可能を可能にして夢を実現するためのノウハウを、大公開していただきます。
 また、私はこれまで、35年間以上にわたって、起業家支援、新規事業支援、組織風土改革などに取り組んできました。そのノウハウを「夢を叶える10か条」にまとめて、お伝えしたいと思います。これは私自身の今までの集大成のセミナーです。
 本セミナーにご参加いただいた皆様の夢が、まさにここから叶えることができるように、全力で応援開催致します!

株式会社アントレプレナーセンター
代表取締役 福島正伸

 

 

 

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【1】セミナーでの前方座席を確保!

 セミナーでは、会場前方にVIP席をご用意致します。ご来場が開始間際になっても、前方の席でご参加頂けます。(VIP席以外は自由席となります)
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【2】VIP限定の交流レセプションに参加!

 セミナー終了後、同会場にて開催するレセプションに参加することができます。パーティでは、3名のアスリート講師や福島正伸と自由に質疑応答や情報交換ができます。
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【3】本セミナー限定色紙プレゼント!

 アスリート講師陣と福島正伸の4名がサインした特別色紙をプレゼント!
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【4】講師陣との記念撮影!
 レセプションにて、参加者全員(福島正伸を除く)との記念撮影を行います!

 

 

 

 ゴルフの「ゴ」の字も知らない、初めてクラブを触り、打った日、プロゴルファーになると決めた。「親孝行できるこんないい方法がある!」とテンションマックスで妄想が止まらなかった。プロになり、活躍し、賞金で何をプレゼントするか、そして引退方法まで決まった。
 プロテスト合格、初優勝、ほぼ妄想通りに勢いよく順調な滑り出し、そしてアメリカツアー挑戦。その後あんなに長いトンネルが待っているとは。
 きっかけは原因不明の腰痛だったが、頑張れば頑張るほど成績は下がっていった。周りの目も変わっていき、人が離れていく。やれば必ずできると自分を信じ切れることで努力もでき、乗り越えられてきた持ち味にも影が忍び寄ってくる。自分はダメだと責める日が多くなった。何度も「もうやめた方がいい」と頭をよぎる。そのたびに思い留まらせてくれたのは、「良い時も悪いときも同じように接し、応援してくださった方に優勝インタビューでお礼を言いたい」という思いだった。辛くなるとランニング中でも優勝インタビューで伝えたいお礼のセリフを言った。言いながら涙があふれてきた。初優勝からもうすぐ10年というオフには「このままでは終われない、来季こそは」と気を入れ直し練習に取り組んだ。
 しかしシーズンが始まると、惨憺たる成績だった。これまでの長い低迷とその状況にさすがに心が折れて、何もやる気がなくなってしまった。その翌週と翌々週の2週間はたまたま試合がなく、何もしないで過ごしていた。「もう、ゴルフはやめよう」と考えるととめどなく涙が出てしまう、辞めてどうするのかということも考えられない。 堂々巡りで考えがまとまらないまま次の試合への移動日がおとずれる。
 辞めようと思っているがプロゴルファーの性で火曜日や水曜日になると移動するという習性があり、何となく飛行機に乗って松山に行ってしまった。久々に練習ラウンドでコースに立つと、空が真っ青できれいだった。髪を揺らす風もすごく心地よかった。「ああ、気持ちいいなぁ」と感じたのを覚えている。
 そして試合当日、久しぶりにチラッと「あ、なんか楽しいな」と感じた。初日は2位発進、二日目もアンダーパーでトータルー7の2位。最終日、最終組になることが決まった瞬間、両親に来てもらおうかなあと思い電話をした。それは優勝するかもしれないという思いではなく、いいゴルフをしばらく見せることができていなかったので、せめて元気にプレーしている姿を最後に見せたいという思いだけだった。
 優勝争い終盤には隣のホールに打ち込み逆走する戦略をとるなどトラブル続きの中、スコアを伸ばして1打差でのウイニングパット、それは9年297日ぶりの優勝だった。
 にこやかに観客に手を振った先にプレーを終えていた仲間が見えた。その瞬間に胸がつまり涙があふれた。応援に駆けつけてくれた仲間のほうが緊張したとあとから聞いた。「世界一の幸せ者」というタスキをかけてくれた。今季は予選落ちばかり、二日目終わった時点でも誰もが優勝するとは思っていないダークホース的な存在。それなのにタスキを用意してくれ、応援してくれた仲間の気持ちに涙があふれた。そして何度も何度も辛いときにリハーサルした優勝インタビューでのお礼の言葉、涙で詰まりながらやっと言えた瞬間だった。
 初優勝から次の優勝までのブランク歴代第1位、決して名誉な記録ではないが、10年間一線で生き残るのも厳しい世界、長い低迷からの優勝は周りの想定を超えた「よくここまで粘りましたで賞」のようなものだ。この優勝は「もうちょっと苦労して人生を乗り越えなさい」というゴルフの神様からのプレゼントだったに違いない。辛かったこの10年間を諦めずに堪えきったからこそ、その後の人生が大きく動いていったのだ。
 ここからがドラマのスタート、新たな展開が次々と起きことになる。

>>続きはセミナーで!


提供:スポーツニッポン新聞社 (2004年11月6日付・東京版)

【プロフィール】
1964年、東京都生まれ。1977年、ゴルフと出会った、その初めてクラブを握った日にプロになると決意。PL学園高校卒業後、ゴルフ場に研修生としてゴルフ場に入社し、キャディなどの業務をしながら練習に励んだ。
1985年、寺下郁夫プロの指導を受け、21歳の秋にプロテスト合格を果たす。飛ばし屋、大型新人と期待され、新人類と言われたルーキー仲間と勢いよくスタートした。
1988年6月、ダンロップレディスで4人のプレーオフ、5ホールの激闘の末、ツアー初優勝。翌週のミズノ女子オープンでは2連勝はならなかったものの2位と健闘。同年、岡本綾子選手以来の米ツアーQスクールに通過、日本プロスポーツ新人賞を獲得。
1989~1990年の2シーズンは、米ツアーを経験。
1991年、帰国し、国内ツアーに復帰するも腰痛が悪化、シード落ちするなど低迷した。
1997年、日本女子プロゴルフ協会公認ドライビングコンテスト優勝(272ヤード)
1998年、健勝苑レディス・道後で9年297日ぶりにツアー2勝目を飾り、シード復帰を果たす。初優勝から2勝目までのブランクの長さ、第一位の記録を持つ。同年、全英女子オープン参戦。
2002年7月、東洋水産レディスで4年3ヵ月ぶりの通算3勝目。同年10月、富士通レディスでは2位からの最終日、6番ホールから4連続バーディを決める猛攻で逆転V。
2004年40歳、ミズノクラシックにて自己ベスト63をたたき出し、世界の女王・アニカ ソレンタムと戦った。
2006年8月、クリスタルガイザーレディス、最終日コースレコード65をマーク。同年シーズン終了後、21年間のツアー生活から退く。
2007年、 ‘D2-chihiro’というオリジナルブランドを立ち上げた。プライベートゴルフレッスンは遠回りしたこと、工夫した経験、試合現場で起きる経験をもとに、ポイントをそぎ落とし、個々の能力をいかす独自のメソッドが好評。
デザイナーとしての側面も含め、すべての活動は人生の集大成と位置付ける「一般社団法人プログレッシブ アスリートアソシエーション」で掲げる大きな夢への一環となる。


 大学3年の春、家にも戻らず大学の寮でトレーニング漬けの毎日。「いくぞー!」と燃えていた。
 突然、監督からDF(ディフェンダー)をやれと言われた。ショックだった。点取り屋のFW(フォワード)からDFに。「最悪だ!」今まで感じたことのない大きな挫折。その日からモチベーションは下がり、嫌々やっていた。
 毎日言い訳ばかり、落ち込み、ひきこもる。納得がいかずに監督に直接聞いた。「自分がダメだからですか?」と。監督は、「そうじゃない。デーン!と構えられる奴が守りの中央にいないと、今季うちのチームは勝てない」。更に、とんがっていたミシェルに向かって「ミシェル、お前のストロングポイントは『協調性』だ。それがチームに生きる」と続けた。「えっ? 俺が協調性?」監督は見抜いていた。最初は渋々やっていたDFも様々工夫するうちに面白味が見えてきた。元々FWをやっていた経験からか、相手フォワードの心理が本能的に分かる。組織的な楽しさに加え、支えている面白さも知った。
 翌年開催のユニバーシアードにリーグ戦の活躍もあり、日本代表から声がかかった。しかしパスポートを見た瞬間にNGとなる。当時は父がフランス人ということで自動的にフランス国籍となる。最初に国体選手に選ばれた18歳の頃から、ずっと帰化申請手続きをしてきたが、申請が通る兆しはなかった。
 翌年も代表に選ばれ、合宿所まで行ったものの、またしても国籍問題で出ることができず、ひとりその場から帰ることになった。
 この時ばかりは心が折れそうになった。それを聞いた母親は涙ながらに「私が外国人と結婚したばかりに、子供のころからずーっとあなたを苦しませてばかり!」誰にも当たれない怒りと悲しみ。夢や希望に立ちはだかる壁。高校時代から心のよりどころが欲しく、哲学書を読み漁った。どこかに心を保つヒントや答えを見つけないと鬱になってしまいそうだった。
 その後も日本代表という夢は国籍という壁に阻まれ続けることになる。「実業団に入るにはチームで勝つしかない、優勝チームのDFとして注目してもらうしかない」と心を決める。
 そして、キャプテンとして迎えた秋の関東リーグで優勝。ディフェンダーとして複数のチームからスカウトが来ることになった。フジタ工業に入社を決め、2年目からプロ契約となる。準優勝に大きく貢献した。Jリーグ開幕時にジェフユナイテッド市原に移籍、プロサッカー選手という夢にたどり着いた。
 30歳で、16歳から申請し続けた帰化申請がおり、日本人となる。あのドーハの悲劇の直前だったため「日本の秘密兵器」と称された。後にファルカン監督のもと日本代表に選出されるがケガによりプレーすることは叶わなかった。
 32歳で引退後もサッカー解説者として様々な角度から分析できるようになれたのも、FW経験、DF経験、両経験が生きている。子供のころから何度も国籍の壁に阻まれ、どうにもならない現実に翻弄された。しかし決して腐らず、逃げず、サッカー、人生に向き合い、乗り越えた。底抜けに明るく人に優しい、大陸的な包容力はこの努力し続けた時間が作り上げたのだろう。

>>続きはセミナーで!

【プロフィール】
1963年、フランス人の父と日本人の母の間に生まれる。千葉県千葉市で育ち、小学1年生からサッカーをはじめる。
1979年、千葉県立市原緑高校に入学。
1981年、びわ湖国体で国体史上初の外国籍選手として出場した。
1982年、国士舘大学に入学。大学リーグで3度の優勝。全日本選手権で優勝と準優勝。大学卒業後、1986年にフジタ工業(ベルマーレ)に入社し、翌年プロ契約を結ぶ。
1989年、天皇杯サッカー選手権準優勝。
1992年、東日本JR古河SC(現・ジェフユナイテッド市原)へ移籍。
1993年、日本国籍を取得し、アジア大会日本代表候補に選出されたが直後に負傷し辞退したため、日本代表としてプレーすることはなかった。現役時代のポジションはDF(ディフェンダー)とMF(ミッドフィルダー)
1996年、現役引退。
1997年、帝京高校のコーチに就任。高校選手権準優勝に導きチームに貢献。
現在はサッカー解説、バラエティ番組出演。
1998年、「フランス・ワールド杯」に日本代表が初出場したときの現地実況解説担当。
1999年の南米パラグアイ、2002年 日韓、2003年 ギリシャ(アテネオリンピック)、2006年 ドイツ、2010年 南アフリカ、2014年 ブラジルのワールド杯の実況解説者として現地に赴いている。
Jリーグをはじめ国際大会、スペインリーグ等、NHK、WOWOWにて世界を視野に入れた解説。日刊スポーツのサッカー評論も担当。また全国の子どもから学生を対象にしたサッカー指導も行っている。
プーマ・サッカー・アカデミー開設ではチーフコーチを7年間務める。
Jリーグ入りを目指すツエーゲン金沢(現J2)を2006年の設立から3年間スーパーバイザーとして支えた。
2012年からは千葉県、浦安市教育委員としても活動。
2016年、大塚製薬「ブカツ応援キャラバン」にて30チーム以上の高校生を指導した。
自らの経験、そして現在の環境を知る宮澤 独特の世界観を取り入れた「講演会」「トークショー」も行っている。


 打率3割、30本塁打を達成。2年連続でベストナインに選出され、オープン戦で東京ドーム完成後の第1号本塁打を放った25歳、巨人の若き主砲として活躍していた。
 1988年7月6日、通算100号ホームランを達成したその直後、順風満帆のプロ野球人生を襲う悲劇がおこった。守備で味方選手と交錯し、「交通事故レベル」の大けがを負った。左ひざの靱帯4本中3本が完全に断裂し、神経も損傷。プロ野球選手として致命的な怪我だ。
 世界一の整形外科医と言われていたDr.ジョーブの手術を受けることに決め渡米。手術後にドクターから言われた言葉は「医者である以上100%治るとは言えないが自信はある。手術は成功した。あとは君次第だ。」少しだけ光が見えた。アメリカのリハビリ環境はスポーツ選手ばかりの明るい場所で、計画より早いスピードでこなせ、前向きになれた。痛くても次のリハビリがやりたいと思えた。
 「左足がダメなら右足、足がだめなら上体でやればいい」というアメリカ的な思考にも救われ、上半身は日増しにムキムキになっていった。それでも目を閉じると不安で仕方なかった。そんなときには「俺が走っている姿をファンが見たら」と想像し、絶対に復帰すると強く思った。
 日本に戻り、一般の方と一緒のリハビリセンターでのリハビリが始まった。目に見えて回復していく頃と違って、そこからは思うほどの回復がなく、後ろ向きになることが多くなった。
 同じ場所でリハビリしていた小学5年生の少年にこう言われた。「吉村さんは暗い!」その一言はまるで後ろから頭をハンマーで叩かれたかのようだった。その少年は、先天的に歩けなく、一生かけて治せるかどうかというレベルなのに、「リハビリをやれば歩けるようになる!」と明るくリハビリに取り組んで日々を生きている。野球を通して勝ち負けだけでなく、楽しみや喜び、希望を感じてもらうのがプロの使命なのに…。ハッとした。
 人生をかけてリハビリに取り組んでいる人がいる。自分の振る舞いがこの方たちにどう影響しているのだろう。自分の振舞い、姿次第でここにいる人たちを元気にすることができるんじゃないか?
 少年から教えてもらった大事なことだった。前向きに取り組むようになった。歩行できるまでに回復したものの、足首の神経麻痺は残ったままだったが、遂にユニフォームを着て練習ができるようになった。
 ある日、あの少年に会いに行った。彼に感謝の意を表したかった。簡単に「頑張れ」とは言えない。復帰を目指す、言わば同志。少年と向き合い「俺も頑張るから、お前も歩けるようになって、試合を観に来いよ!」彼は数年後、試合会場に来てくれた。胸が熱くなった。
 補助装具をつけてベースランニングができるようになった。練習、バッティングなど色々できるようになっていった。もうすぐマジック点灯という時、ケガで戦線離脱選手が続出した。
 突然の一軍復帰、まだ二軍の試合にも出ていない時だった。1989年9月2日、東京ドームでの試合の7回裏、藤田監督が代打で指名する。会場アナウンスをかき消すほどの大歓声でドームが揺れる中バッターボックスに立った。ドラマチックな場面を藤田監督が用意してくれた。
 あれから423日。セカンドゴロでアウトになったが歓声と拍手は鳴りやまなかった。後にも先にもグランドで涙したのはこの時だけだった。「色々な人に感謝しなきゃ」と強く思った瞬間だった。
 誰もが第一線での復帰は無理だろうと思っていた中、本人だけは違った。復帰した姿を描く、その信念が奇跡を呼んだ。復帰後の10年間は自然にできたことが出来ないという連続だったが最も真摯に野球と向き合えた時間だった。
 プロ野球選手としてだけでなく、人生観を底知れなく大きくしてくれた怪我に感謝と言える男の夢はまだまだ続く。

>>続きはセミナーで!

提供:スポーツニッポン新聞社 (1990年9月9日付)

【プロフィール】
1963年、奈良県生まれ。PL学園高校で1981年、春の選抜高等学校野球大会にて優勝を果たす。
1982年、ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。高いバッティングセンスと身体能力を武器に2年目の1983年に84試合の出場を果たし、規定打席未到達ながら打率3割2分6厘の好成績を挙げる。その活躍をきっかけに、翌1984年から右翼手のレギュラー、俊足強肩の選手として将来を嘱望されていた。
1986年、1987年と2年連続でベストナインに選出される。
1987年、3割30本塁打を達成。
1988年3月、阪神とのオープン戦で東京ドーム完成後の第1号本塁打を放つ。同年7月、プレー中の激突により、左膝の4本の靱帯のうち3本が完全に断裂、さらに神経まで損傷し、「交通事故レベル」という、重度の障害者認定を受けるほどの大怪我を負った。渡米しての2度の手術と、1年以上の苦しいリハビリ生活を経て、1989年9月2日に不屈の精神で復帰を果たす。
1990年9月8日、チームのリーグ優勝を自らのサヨナラ本塁打で決めた。その後も主に左の代打の切り札として活躍した。
1998年シーズンには長嶋茂雄監督から第16代キャプテンに指名された。同年限りで現役を引退。現役引退後、2002年に巨人一軍打撃コーチ。
2004年からは日本テレビの野球解説者やスポーツ報知評論家などを務めた。
2006年から2011年まで、巨人の二軍監督、一軍野手総合コーチに就任。
2012年からは日本テレビ、ラジオニッポンの解説者、スポーツニッポンの評論家を務める。
2015年、侍ジャパンのアンダー世代である15U(中学生以下)代表監督にも就任した。
2016年、常磐大学野球部特別コーチ。
2017年、常磐大学非常勤講師、同大学野球部特別コーチ。

 

 

 

※VIPでお申込みの方は、午後6時よりレセプションがあります。

開催概要

テーマ 「不可能を可能にした人たちによる、不可能を可能にして夢を叶えるセミナー」
講師

中嶋 千尋(プロゴルファー)
宮澤 ミシェル(元Jリーガー、サッカー解説者・指導者)
吉村 禎章(元プロ野球選手、野球解説者)
福島 正伸(株式会社アントレプレナーセンター 代表取締役社長)
実績・プロフィールはこちら>>

日時 2017年 9月30日(土) 13時~17時30分(※)
※受付開始は、12時30分からです。
※VIPでお申込の方は、18時~20時に交流レセプションがあります。
会場 スクエア荏原 イベントホール
住所: 〒142-0063 東京都品川区荏原4-5-28
TEL: 03-5788-5321【地図】 http://urx2.nu/qh1k
定員 【VIP】50名
【一般】170名
参加費 お1人様【VIP】¥54,000(税込)
【一般】¥32,400(税込)
持ち物 筆記用具、名刺(多めにお持ちください)
お支払い方法 ・銀行振込
申込み完了と同時に、振込口座を詳細メールにてご連絡いたします。
大変恐れ入りますが、振込手数料はお客様のご負担となります。
メールが届かない場合は、担当までご連絡をお願い致します。※弊社発行の『領収書』が必要な方は、
別途事前にご連絡下さい。講座当日の受付時にお渡しいたします。
キャンセル規定 ・ご都合により欠席される場合は、事前に事務局までご連絡をお願いいたします。
・14日前までのキャンセルは、振込手数料を差し引き、ご返金いたします。それ以降のキャンセルは、全額お客様のご負担とさせて頂きます。
受講票について ・受講票は発行しておりません。直接会場にお越し下さい。
録音・録画について ・当日の録音・録画はご遠慮下さい。
備考 PC・携帯からお申込みの際には、弊社からのメールを受信できるよう、ドメイン指定の受信設定(@entre.co.jp)をご確認下さい。

【第一条】困難や問題が楽しみになる夢の描き方

【第二条】夢を実現するたった一つの最強法則

【第三条】世界一になる方法

【第四条】不可能を可能にする自立型姿勢とは

【第五条】スタッフ・社員が社長のファンになる究極のリーダーシップ(メンタリング・マネジメント)

【第六条】最強の仲間、メンターネットワークづくりのノウハウ

【第七条】お客様が感動し、一気に口コミが広がる感動価値の創出法

【第八条】何もないところから事業を成功させるノーリスク・マーケティング

【第九条】厳しい環境ほど、社員がやる気に溢れる理念共感型企業の創り方

【第十条】たった10分間で、足りない経営資源を集める感動と共感のプレゼンテーション

 

セミナーでの福島正伸の講演内容
ここに公開!!

 

 

【第一条】困難や問題が楽しみになる夢の描き方

―はじめに、夢が実現した世界をワクワクするように描く

・夢を持つことは、自分と社会の未来を変えること
・夢は自分自身の存在価値を創り、人生が感動になる
・夢はどんな状況の中でも、たった一人でも、自由に描くことができる
・夢を実現できない一番の理由が、夢が不明確なこと
・夢とは、お店を持つことでも、新商品を開発することでもなく、それによって、人をどのように幸せにすることができるのか
・夢が実現すると、会社、地域、世界がどのように変わるのか
・具体的に、誰がどのように、どのくらい幸せになるのか
・社員やお客様はどんな表情をして、どんな会話をしているか
・そのお店に来たお客様、その商品を購入したお客様がどのような気持ちで過ごし、どのような気持ちで帰り、その体験をまわりにどのように伝えるのか
・その時、自分はどのような気持ちで、どのくらい感動しているか
・そこから自分の人生はどのように変わるか
・それらを自分がワクワクするように描き切る
・その雰囲気まで具体的に想像できたことは実現できる

【第二条】夢を実現するたった一つの最強法則

―「あきらめない」と決めること

・どのような素晴らしい夢も、必ずその前に困難や問題が待っている
・大きな夢ほど、大きな困難が待っている
・迷っていない人に人が集まる。あきらめそうな人に人は集まらない
・夢の実現を阻むのは自分だけ。他人や環境が夢を阻むことはできない
・あきらめない理由がない人が、あきらめるだけ
・「限界」は、始める前に決まっている
・どんな困難が降りかかったとしても、どれだけ努力しても成果が出なかったとしても、誰も理解してくれなかったとしても、実現するまで続けられる理由は何か
・環境や他人に依存せず、自分自身に期待する
・始める前に勝負を決める―無意識にどこであきらめるかを決めてしまうから
・どうして夢を叶えたいのか、あきらめない理由は何か、自分の価値観、人生観とどのようにつながっているか
・自分の過去と未来の夢がつながると、迷いが一切ない状態になる
・あきらめない理由は、自分だけのもの
・大きな困難ほど、大きな感動に変わる
―困難君の後ろには、いつも感動君が隠れている

【第三条】世界一になる方法

―すべての思考基準を「世界一」にすると世界一になる

・何気なく生きることは、昨日と同じ自分でいること
・すべての人に、無限の能力とすべての可能性がある。それらを発揮できるかどうかは、自分次第。
・食事をする時、サラダを選ぶ時も、どっちを食べたら世界一に近づくかを気にして選ぶ
・基準を変えることは、人生を変えること、世界の未来を変えること
・世界一の会社では、電話をどのようにとるのか、どのようなクレーム対応をするのか
・世界一と思って、考え行動する。
・「将来、社長になりたい」のなら、明日社長になると思って、毎日生きる
・会社全体、世界へと視野が変わり、お客様への思いが変わり、他の社員への意識が変わり、自社の商品サービスへのこだわりが変わり、毎日の気持ちが変わる
・世界一変わり続けた人が、世界一になる
・はじめに世界一になると決める
・そして、世界一になったら、まだまだ本物ではないと考える
・世界一になっても、完璧ではない
・世界一であり続けることは、世界一自分を変え続けること

【第四条】不可能を可能にする自立型姿勢とは

―最幸の結果を生み出す究極の思考法

・うまくいかないことを楽しむほど成果は大きくなる
・どんな時も手法は100万通りある
・できる方法はできてからしかわからない
・名案を探すより、できることを探す
・いかなる環境も、制約条件ではなく成長条件
・できるかできないかではなく、やるかやらないか
・会社、社会がどうかではなく、どんな会社、社会にしたいか
・不満にするか、出番にするか
・環境を変えても、生き方を変えない限り、不満は尽きない
・なりたい自分になることしかできない
―なりたい自分をあらかじめ決める

・無意識でいることは、昨日と同じ自分でいること
・職場とは、最も格好いい、ステキな自分を見せて輝く場所
・会社に行くことは、世界を変えに行くこと
・他人のせいにした問題は解決できない
・やろうと思えば、自分にできることは無限にある
・他のスタッフ、社員をやる気にさせるために会社に行く
・常に勝者でいることはできなくても、常に勇者でいることはできる
・他人は鏡。自分が相手にしたことが、自分に返ってくる
―周りが協力してくれないのは、周りの協力をしてこなかったから

・すべての出来事はチャンスになる。それは自分で決めること
・チャンスと思えがチャンス、ピンチと思えばピンチ
・チャンスにならない出来事はない、チャンスにしないことがあるだけ
・どんな問題でも解決できる、究極の「自立型問題解決法」
―すべてを自分の出番に変える

・やらされ感を一瞬でなくす「自発性」への転換法
―「しなければならないこと」は誰が決めたのか
―すべては自分が選んだこと―最終的意思決定は自分がしている

【第五条】スタッフ・社員が社長のファンになる究極のリーダーシップ(メンタリング・マネジメント)

―そこにいるだけで社員がやる気になる究極のリーダー(メンター)とは
―どんなに状況からでも道を切り開いて目的を達成する自立型社員の育成法

・人は権限で動かすことはできない
―仕方なく動く人が増えるだけ
人を言葉で変えることはできない
―他人に変えられたくない
・仕組みや制度で、人をやる気にさせることはできない
・危機感は、疲弊感につながる
・人は自分が変わりたくなった時に変わる
・教えずして、人を育てるメンター(究極のリーダー)とは
・コントロールとメンタリング
―無意識でいると、「恐怖」を使って部下をコントロールしようとしてしまう
―「尊敬」によって人をやる気にさせるのがメンタリング
・人は尊敬と信頼、感動と共感で動く
・やる気のない部下が上司を成長させる、会社を成長させる
・人を育てることは、自分が成長すること
・トップが夢を語り、大きな困難に本気で挑み続ける姿に、スタッフは心を奪われる
・社員にとっての幸せとは、尊敬できる人と仕事ができること
・自立型人材を育てるためには、自分自身が自立型人材になること
・信頼とは、相手のすべてを受け入れる勇気であり、一生付き合う覚悟
―人は自分のすべてを受け入れてくれた人の話しか聞かない
・他人との関係は、すべて自分がスタート
―相手に期待するほど、不満が増える
・支援とは、相手を楽にするのではなく、やる気にさせること
―助けない、解決しない、楽にしないで、やる気にさせて自分でやらせるから、人が育つ
・最高の支援とは、何があろうとも相手の側にいること
・対人関係を一瞬で改善する「ありがたいこと100」シート
―相手を受け止め、自分の意識が変わり、相手に感謝の気持ちが湧く

【第六条】最強の仲間、メンターネットワークづくりのノウハウ

―厳しい状況になるほど、仲間が集まる信頼関係の創り方

・唯一の人間関係の法則「自分がやったことが自分に返ってくる」
・周りの力を自分に集める
・夢は一人だけで実現することが最も難しく、すべての人の夢を同時に実現することが最も簡単である
・人に会うのは相手のため―飲み会は、他の人をやる気にさせ、応援するために行く
一日のうちに他人のための時間をつくと(5分間でもいい)。すべての必要なものが集まる
・他人との関係は、自分がスタート
・人をやる気にさせるメンターシートの書き方6つのポイント
人間関係を劇的に改善する6つのポイント
―このポイントを意識して会話するだけで、最幸の人間関係を構築することができる
相手がワクワクするコミュニケーション
・原則、アドバイス禁止―信頼関係がないと相手の否定になる

【第七条】お客様が感動し、一気に口コミが広がる感動価値の創出法

―開業一か月で世界一の会社になる倍々成長のメカニズム(リピーターと口コミ)

・明日の売上を、今日あげる
・最強の営業は、リピーターと口コミ
・倍々で成長すると、一か月後に世界一の企業になる
・お客様が口コミしたくなる感動価値創出法「まさかここまで!」
―お客様は、いつも新しい感動を探している
・「感動分岐点」を超えた時から一気に成長する
・同業他社がやっていないことで、お客様が喜ぶことを100やる
・感動を与えるアイデアを創造する2段階
―ビジネス・アイデアは、「質」よりも「量」。量が質を高める
―新しいことはすべて、思いつきから生まれる
・自分のことが一番わからない―お客様は価値を知っている
・人を幸せにする、幸せが社員のやる気になる

【第八条】何もないところから事業を成功させるノーリスク・マーケティング

―リスクゼロで、世界を変える起業家的超戦略型マーケティング

・会いたい人には必ず会える関係性の法則
―5人の紹介者を介せば、誰でも会える
・相手から「会いたい」といわれる提案の方法
―会話の中の小さな情報が未来を大きく変える
―いかに関係性を見出すか
・何もない状態から、半年で2億円の資金を調達する方法
―30人に会う。生き方で資金を集める。人は感動すると共感者になる
・に向かって本気で挑む姿に人は心を奪われる
―最強の経営資源とは、努力、感謝、未熟
・最小資金で最大成果を生み出すノーリスク・マーケティングの4原則
・戦略とは、最小資源で、最大成果を生み出すこと
―「たら」「れば」禁止。「今から」
・できることはすべてやる
―戦略の基本は「あの手、この手」

【第九条】厳しい環境ほど、社員がやる気に溢れる理念共感型企業の創り方

―すべての基準を企業理念にすることで社員の心を一つにする
―社員の幸せを優先するほど、企業は成長する

・社員の幸せとは、安楽ではなく、すべての仕事を楽しみ、困難を乗り越えて成長していくこと。
・充実感、感動、共感、信頼、夢に溢れた組織を創る
・仕事とは、理念の現実化
―それは、笑顔を増やすこと
・売上を決めるのはお客様
―企業にできることはお客様を幸せにして、社会に貢献すること
・企業の再建とは、社員の心の再建
・企業理念の6つの条件
・企業理念の創り方
・社員の心を一つにする理念共感ムービー
・100万人の会社でも、理念を浸透させる方法
・最大成果を常に生み出す究極の社風の創り方
―理想の一日を決める
―理想の社風を決める。「理想の会社」物語
・理想の会社を、社員が考える「理想の会社ミーティング」

【第十条】たった10分間で、足りない経営資源を集める感動と共感のプレゼンテーション

―説明禁止、数字も見せずに、経営資源を集める

・プレゼンテーションの成功と失敗
・プレゼンテーションとは、足りない経営資源を集めること
・人を動かすことは、人の心を動かすこと
・人の心が動くのは説明や説得ではなく、感動と共感
・感動と共感は、共通体験によって起こる
・プレゼンテーションとは、未来の世界の共通体験
・10分間後には相手が自分のファンになる2つのポイント
―「最幸の価値の体験」と「あきらめない理由」
・時間が短いほど集中できる、伝えたいことが明確になる
・感動の物語が、共通体験を創る
―人が幸せに変わる感動の物語
・オリジナルの映像と音楽で伝わり方は10倍変わる
―一つの映像、一つの言葉に人生を賭ける
・準備ができないと緊張する。準備ができると興奮する
―資料の準備は一週間前に終わらせる。一週間は話す練習
・プレゼンテーションの品質は、仕事の品質
・一人で創るよりみんなで創る相互支援会
・「あきらめない理由」こそが、最強の成功条件
―すべてを捨てる覚悟に勝るものはない
―実現する理由は、自分の中にある
・「思い」の7段階
・決意の10か条
―決意をした人は、すべてが自然、
―迷いがないことは、勝手に伝わる

 

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