“思い”の7段階

『思い』を強くすることで、不可能はなくなります。その『思い』の不思議を解説しました。
福島正伸著「起業家に必要なたった一つの行動原則」(ダイヤモンド社)より抜粋。

 

■「思い」をコントロールする―「思い」のレベルと同じ自分になる

活躍する起業家の条件を一言でまとめると、自分の置かれた環境から逃げずに、今、できることから前向きに取り組んできたことといえるだろう。さらに、どうしてそれができたかといえば、それは強い「思い」を持って生きてきたからというほかないのではないか。
もし私たちの人生が環境によって左右されるものであるとするならば、それほど面白味のない人生はないだろう。それでは貧しい家に生まれれば一生貧しいだけ、不況になれば会社もダメになるだけになってしまう。しかし私たちは「思い」という、環境すらコントロールしてしまう力を持っている。つまり、自分の人生をどのような「思い」を持つかによって自由にコントロールすることができるのである。

 

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【1章「思い」と経営】
【2章「思い」の特徴】
【3章「思い」のコントロール】

 

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【1章「思い」と経営】

●事業の成否を分ける「思い」

事業において最も大切なのは、「人」であって会社や組織ではない。なぜなら会社や組織をよくするも悪くするも「人」が決めるのであり、会社や組織といったものは「人」が社会活動を営むうえで便宜上つくった仮の存在にすぎないからだ。

ではさらに、人がいさえすればいいかというとそうでもない。そこにどのような「思い」を持った人がいるのかということが重要になる。人は勝手に動くものではなく、「思い」によって動くものだからだ。弱い「思い」しかななければちょっとした障害にぶつかっただけで、その行動は止まってしまうかもしれないが、強い「思い」を持って臨めばどんなに大きな障壁だって乗り越えていくことはできる。

障害があることが問題ではないのだ。何をしたって、それこそじっとしていたって病気やけが、災害といった障害は自分の身に降りかかってくる。大切なことは、そういう障害に対して、自分はどんな「思い」を持って臨むかということである。障害の大きさに対してどれだけ強い「思い」を持ったかで、それを乗り越えられるかどうかが決まる。最も強い「思い」を持つことができれば、乗り越えることができない障害など私たちにはありえない。


●顧客は自分と同じ「思い」になる

ある店に食事に行ったとする。そこでは店員がさも面倒くさそうに私たちに対応し、つまらなさそうに仕事をしている。表情だけでなく行動からも、それが瞬時に読み取れる。そんな店で私たちは楽しく食事をとることができるだろうか。
またある店では、私たちをさも待っていたかのようにうれしそうに出迎えてくれ、応対もとても親切でそれでいて出しゃばるところがない。私たちの要望に対してもすぐに行動で応えてくれる。笑顔に満ちた表情を絶やさず、仕事そのものを楽しんでいる様子がわかる。そんな店だったら、私たちもきっと楽しく食事をとることができるだろう。

私たちがどのような「思い」でいるかは他人に伝播し、他人も同じ「思い」にしてしまう。相手は自分と同じ「思い」を持つのである。
同じように社員は上司と同じ「思い」を持つ。上司が部下のことを仕事ができない奴だと思っていれば、部下もまた上司のことを自分勝手な考えを押しつけてばかりいる仕事ができない上司だと思うようになる。そしてお互いが仕事に精力を注がなくなり、二人の生産性はどんどん低下していく。一方、上司が部下を信頼し、部下の失敗は自分に責任があると思えば、部下もまた上司を信頼し、自分の失敗は自分に責任があると思うようになる。

部下の育成は上司がどのような「思い」を持って接するかによって決まるのであり、部下に大して何をどのように伝え、管理していくかということは重要ではない。たとえ相手がこちらの意図どおりに行動しているからといって、部下の指導がうまくいったと思うのは錯覚にすぎない。ピンチになると突然手のひらを返したように、自分は無関係であると言ってくるかもしれない。これまで言いなりになっていた部下が突然自分に反旗を翻して、自分を窮地に追い込むかもしれない。過去の成長企業の中でも、役員会で社長辞任の決議事項が出され、思いも寄らず退陣に追い込まれた経営者は何人もいる。

大切なことは相手がどのような行動をしているかではなく、自分がどのような「思い」を持って行動しているかということなのだ。
そしてまた商品も自分の「思い」のレベルと同等のものができる。商品開発に関わる人の「思い」が、その商品の善し悪しを決めてしまうのである。いい加減な気持ちでつくったものは、どんなに見た目がよいものであったとしてもそれをつくったときの気持ちが相手に伝わってしまい、顧客に受け入れられることはないだろう。商品を手にして相手が感動するのは、つくり手がその何倍もの「思い」を持ってつくったときだけだ。顧客は商品を通してつくり手と同じ気持ちになるのである。

その意味で、何をつくれば売れるか、という考えでは売れる商品はいつまでたっても決してつくれない。ヒット商品の開発者たちに共通するのは、その本心では自分がつくったものがヒットして当たり前と思っていること。謙遜して言うこともあるが、心の中には商品が売れたのは偶然ではなく強烈な「思い」を持ってつくったからだという自信があるものだ。

ものづくりをするときに大切なことは、まずどれだけ真剣な「思い」を持ってその企画・開発に取り組むかということにほかならない。
あらゆる仕事は「思い」を持って取り組まれなければ成果を得ることはできない。メーカーでもサービス業でも管理業でも、その仕事が顧客に受け入れらるかどうかは、関わる人々がどのような気持ちで仕事に臨んでいるかによって決まるものだからだ。

 

●今の自分は過去の自分の「思い」の結果

「うまくいくと思っていたのに」「やればできると思っていたのに」と、結果がそうではないことを嘆く人がよくいる。しかし、そのための努力をどれだけしてきたかを考えてみよう。途中で気を抜いていたことがなかったか、目の前に欲望に流されたことはなかったか、本気で取り組んでいたかを考えれば、なぜうまくいかなかったのかを理解することはできるのではないか。要は「思い」が足りなかったから、はじめに考えていたような結果を得ることができなかったのではないだろうか。

「こんなはずじゃなかった」と言う人がいるが、それはありえない。「こんなはず」にしてきたからこそ、「こんなはず」になったのである。
しかし、予想外の結果になってしまったことを嘆く必要はまったくない。いつからでも新たな「思い」を持つことによって、私たちはこれからの人生をどのようにでも変えることができるのだから。

ほとんどの起業家は社会的に恵まれた環境から成功してきたわけではない。強い「思い」を持って事業を取り組んできたからこそ、厳しい環境をも乗り越えてきたのである。

今の自分は、過去にどのような「思い」を持って生きてきたかの結果であると同時に、今からどのような「思い」を持つかによって、自分が将来どのようになるのかを決めているのだ。

 

●「思い」を持たなかったことが問題化する

成長し続けてきた企業が、ある出来事をキッカケにして一気に崩壊してしまうことがある。製品の欠陥による売上減少、新商品開発の遅れ、社員の裏切り、顧客からの不買運動、強力な競合企業の登場など、企業活動を営むうえではこのようなことは当たり前のように起きている。企業の努力に関係なく起こるものもあるが、こういった問題のほとんどは企業の内部的問題として考える必要がある。

企業は成長しているときに降りかかる問題に対して、関心が薄くなってしまう傾向がある。売上が伸びている企業に対しては、金融機関も優遇するし、社会的にも評価が高くなる。成長している企業はよい企業であるという社会認識は、経営者に慢心を起こさせるキッカケとなってしまう。それまで強い「思い」を持ってさまざまな困難を乗り越えてきた経営者がどこかで安心し、それまでの「思い」を失ってしまう。そうすると問題を問題として感じなくなってしまう。問題があっても企業は成長しているのだから、意識の中では問題はないということになってしまう。

企業は成長しているときに次々と問題を蓄積しているといえる。それが次第に大きくなり、いつの間にか企業の存在そのものを揺るがすほどの問題となるときが必ずくるのである。

「思い」が弱くなると、問題は相対的に大きくなっていく。「思い」を持たなかったところから問題が大きくなり、いずれは企業そのものを崩壊させてしまうことになるだろう。社員が会社を裏切るのは、社員に対する「思い」を持たなかったからであり、新規事業がうまくいかなかったのは、新規事業に対する「思い」が足りなかったからである。もっと広い意味でいえば、企業社会全体が地球に対する「思い」を持たなかったことが地球環境問題を起こした原因だ。もちろんいくらでもほかの理由、原因をあげることはできるだろう。しかしそれらをあげたところで、それらに対処しうる「思い」を持って行動しなかったことが真の原因であることに変わりはない。
「思い」は常に強く持ち続ける必要がある。特にうまくいっているときには、これはとても難しいことである。気を許すとすぐに安心感が「思い」を弱めてしまう。

うまくいっているとき、そのときほど私たちは試されているのである。

 

●期待から、自発的行動へ

「思い」の特徴の一つに、強い「思い」は自分から行動を始めるようになる一方で、弱い「思い」は他人の行動に期待することがあげられる。

事業を成功させたいと思いながら金融機関が資金を貸してくれないという場合、「思い」が足りなければ、事業がうまくいかない理由を金融機関の責任にしてしまうだろうが、強い「思い」を持っていれば、何度でも金融機関に足を運んでありとあらゆる手を尽くし、必要な資金を調達してしまうだろう。大きな家に住みたいと思いながら、自分の働いている会社の業績が悪く給与も安くてダメだと言って、毎日イヤイヤで仕事をやっているのでは、いつまでたっても大きな家に住むことなどできない。本気でそう思えば、仕事のうえでもどんどん成果を出して自分から企業を成長させ、高い給与を得るべく努力するようになるだろう。

私たちの行動は私たちがどのような「思い」を持つかによって決まってしまう。強い「思い」を持つことによって、その行動をいっぺんに積極的なものに変えることもできる。その気になればいつからでも、期待して待っているだけの状態から、自発的に行動し自らの力で目標を達成できるようになるのである。

 

●「思い」は無限のエネルギーをもたらす

面白いことに同じように仕事をしていても、すぐに疲れたと口にする人もいるが、まったく疲れた素振りも見せずがんばり続けられる人もいる。さらに疲れたと簡単に言う人ほど仕事の生産性は低いが、疲れた素振りも見せない人の仕事の生産性は高い。
強い「思い」を持った人ほど疲れない。人間は肉体的に疲れることはあっても、精神的に疲れることはない。仕事はやればやるほど疲れるものと決めつけている人がいるが、本当は「思い」を持って仕事をしていないだけのことである。働くから疲れるのではなく、「思い」を持って働かないから疲れるのだ。

休みがないと仕事を続けられないと言う人が長い休みをとればとるほど、仕事に戻ると今度は休みボケだと言って、また仕事に精を出そうとしない。確かに私たち人間はまったく休みなしで仕事を続けることはできないかもしれない。しかし、休むのは体力を蓄え、集中力を高めるためであって、楽をしたくて休むのでは意味がない。

「思い」の強さに従って、私たちは活動エネルギーを増やすことができる。強い「思い」は膨大な活動エネルギーを生み出す。人間と機械の最大の違いはこの活動エネルギーにある。機械はどのように高性能な機械であっても、与えられたエネルギーに従って活動するのに対し、人間は自ら「思い」を持つことによってその活動エネルギーを自由に増やしたり、減らしたりすることができるわけだ。積極的に行動したり、消極的な行動になったりするのは、人がそのときどきどのような「思い」を持っているかによって決まるものなのである。

 

 

【2章「思い」の特徴】

●「思い」の自己診断

あなたのやってみたいことを一つ思い浮かべてみてください。それを達成したいという「思い」は以下のどのレベルにありますか。できるだけ素直に答えてください。以下の順に読んで少しでもうなずける部分が出てきたら、そこがあなたの「思い」のレベルになります。

(1) ●やりたいとは思うが自分でやるのは面倒なので、できれば誰かにやってほしい
●自分にはできそうもないことなので、できなくても仕方がない
●面倒なことなので、いつかできそうな気がしたら始めよう
●やってみたいと思うが、どうせうまくいかないのではないかと思うとやる気がしない
(2) ●楽にできることならばやりたい
●確実な方法がわかり、それほど努力しなくてもすみそうならやりたい
●誰かやる人がいれば、自分もその人と一緒にやってみたい
●空き時間をうまく使ってやってみたい
(3) ●こうすれば必ずうまくいくという方法があれば、多少努力してもやってみたい
●まわりも理解してくれて、アドバイスやサポートがあれば自分も努力してやってみたい
(4) ●確実な方法がわからなくても、今、できることから取り組んでいきたい
●まわりからのアドバイスやサポートがなくてもやってみたい
●努力することは惜しまない
(5) ●たとえ捨てるものがあったとしても、やってみたい
●多少のプレッシャーがあっても、負けないで何とかやり遂げたい
●たとえ休日や給与が減っても、それ以上にやる価値はあると感じる
(6) ●いざとなればすべてを捨ててもやってみたい
●とてもできそうにないと感じることであってもやり遂げてみたい
●達成のためにはどんなプレッシャーにも負けない
(7) ●命を賭けてもやり遂げてみたい
●不可能であるかどうかは関係ない
●どんな障害や問題に出合おうとも、やりたいという気持ちに変化は起きない
●自分はどうなってもかまわない

 

 

↓↓↓ それでは、それぞれのレベルでどの程度のことを成し遂げることができるかを解説してみよう。↓↓↓

 

(1) ●何も変わらない
●欲求不満が増えるだけ
(2) ●コピーがとれる
●趣味を増やすことができる
●仕事に関することはできない
(3) ●資格をとることができる
●パソコンをマスターすることができる
●経営資源や材料が揃っていれば達成できる
●電話対応など基本的な仕事であればできる
(4) ●一つの仕事を仕上げることができる
●売上をあげることができる
●必要なものを自分の力で揃えられる
●自分一人でできる範囲のことならば可能
●このレベルまでは共感者は現れない
(5) ●一つのプロジェクトを成功させることができる
●売上を伸ばすことができる
●共感してくれる人が現れる
●必要なものの一部をまわりが提供してくれる
●自分一人ではできないことも一部可能となる
(6) ●組織、会社、業界を変えることができる
●売上を大きく伸ばすことができる
●多くの共感者をつくる
●必要なものがどんどん揃う
●やりたいと思ったことのほとんどが達成可能
(7) ●社会、国家、歴史を変えることができる
●あらゆることが可能となり、不可能はなくなる
●出会う人はみな共感者となる
●必要なものはすべて揃う
●歴史に名を残す

 

この結果を、今のあなたの「思い」で、どこまでのことができるのかの一つの指標としてほしい。
少しでも強い「思い」を持つように毎日でも自分に言い聞かせ、自分の「思い」をコントロールしよう。

本章では「思い」について、その特徴を少し構造的に解明していきたいと思う。

 

●「思い」の七段階レベル

「思い」には強い「思い」と弱い「思い」がある。それではこの強い「思い」と弱い「思い」にはどのような違いがあるのか考察してみよう。
たとえばお辞儀一つ取り上げてみても、100円のお客様へのお辞儀と100万円のお客様へのお辞儀、さらには自分の子供の命を救ってくれた人へのお辞儀はみな違うだろう。たとえ同じ角度で腰を曲げてお辞儀をしたとしても、そのお辞儀からはまったく違った印象を相手は受けるに違いない。それはお辞儀をしている人の「思い」が違うからである。
この「思い」の段階を大きく七段階に分けることができる。その内容は以下のようになる。

 ■第一段階 極めて弱い「思い」 ● 誰かにやってほしい
● 何も変わらない
「思い」があるといっても、この段階では「思い」が低すぎるために、自発的な行動につながらない。自分から行動するのではなく、他人が自分のために行動してくれることを期待しているだけの状態。上司に対して何も提案していないにもかかわらず、どうせわかってくれない上司だからと上司の悪口を言っているのは、まさにこの状態にあるときである。いつまでたっても何も変わることはない。
 ■第二段階 弱い「思い」 ● 楽にできるなら自分がやってもいい
● 買物ができるレベル
あらかじめできることがわかっていて、しかもそれが過去の自分の経験からしても簡単にできることが予測される場合に、行動に移るという状態。しかしやってみて簡単にできそうもなければ容易にあきらめてしまう。話がわかる上司で自分のことを理解してくれることがわかっている場合にのみ、上司に対して自分から提案する。
 ■第三段階 やや弱い「思い」 ● 楽でなくても確実な方法が見つかれば
● まわりの人、仲間を変えるレベル
たとえ面倒なことをしなければならないとしても、あらかじめできることがわかっているような場合に行動に移るという状態。なかなか理解してくれない上司であったとしても、資料を整えてきちんとプレゼンテーションすればわかってくれるというような場合、まずは資料集めに努力する。
 ■第四段階 やや強い「思い」 ● 確実な方法がなくとも今できることからやる
● 一つの仕事を成し遂げるレベル
どうしたらできるかがわからなくとも、今できることから何とか方法を見つけ出していく状態。
ただし、それによって自分が何らかの不利益を被るのでは行動に移らない。なかなか理解してくれない上司に対しても、どうしたらよいのか、何が問題かを探りながら、自分に
とって不利益にならない限り何度も提案していく。
 ■第五段階 強い「思い」 ● 捨てるものがあってもやる
● 一つのプロジェクトを成功させるレベル
目的の達成のためなら、たとえ自分にとって不都合なことや利益を失うことがあってもやり抜く状態。このレベルの「思い」がなければ、何か新しいことにチャレンジすることはできない。もしも上司が自分の提案を受理してくれるのであれば休みを減らしてもかまわないと言って提案する。
 ■第六段階 極めて強い「思い」 ● すべてを捨てても、私利私欲を超えて
● 業界、会社、組織を変えるレベル
目的達成のためなら、自分にとってどんなに不利益なことがあったとしてもやり抜いていく状態。このレベルの「思い」を持てばほとんどの目的は達成することができる。もしも上司が自分の提案を受理してくれると言うのであれば、休みも給与も何もいらないと言って提案する。
 ■第七段階 最強の「思い」 ● 命を賭けても
● 社会、国家、歴史を変えるレベル
自分の命を賭けてもやっていく決意をして行動している状態。あらゆることが可能になる。この段階の「思い」を持つことは並大抵のことではないが、歴史に名を残している人の多くがこのレベルの「思い」を持って行動してきたことは事実だ。

 

 

●「思い」の五ステップ

「思い」を持つとすぐにそれが実現するかというと、そうではない。「思い」はそれが実現していく過程で、五つのステップに分けて考えることができる。醸成、発揮、伝播、吸引、実現の五つのステップである。

(1)醸成

「思い」は自ら醸成しなければないらないものである。「思い」は勝手に自然と湧き起こってくるものではなく、意識的に湧き起こるような努力をする必要がある。

強い「思い」を持つようになるためには二つのキッカケがある。一つは環境からくるキッカケで、極めて厳しい環境の中でこのままではいけないと「思い」が沸き起こることもある。多くの起業家が厳しい環境から成長していくことができるのは、厳しい環境が強い「思い」を抱かせる要因になっているからだ。

私自身のことになるが、大学を出てすぐにコンサルタント会社に入社するも、経営の本質を学ぶにはどうしたらよいかを真剣に考えていた。一日目の研修を終えて何も経営のことを教えてもらえなかったことに大いに不満を抱いた。その日、寝ずに考えてあることに気がついた。それは自分が会社に期待をしたから、それが裏切られて不満を覚えたということである。経営は教えてもらうのではなく自分で勉強すればいい。そして、自ら厳しい環境の中で実践から学ぶことが最もよいと思いつき、入社後二日目には辞表を書いたという経験をした。このときは若さの勢いもあったが、今思い起こしてみても、とてもいい(苦しい)体験をするキッカケとなった。
すべてではないにしても環境は自ら選択して、それによって自分の「思い」を強くしたり、また逆に弱くしたりすることもできる。
また、自ら厳しい環境を選択しなくても意識的に強い「思い」を持つこともできる。それが二つ目の自らの目的を確認しながら生活していくということである。

日常生活に支障のない程度の収入があると「思い」は弱くなってしまう。これ以上がんばるのは面倒だ、生活に困っていないのだからまあいいじゃないかなど、このような気持ちに流されないようにするためには、繰り返し繰り返し自分に言い聞かせつづけることである。「思い」を強くするためには、自分が何のためにここにいるのか、自分は何を目指しているのかということを何度も自分の中で確認していかなければならない。

これを「思いの再確認」という。最も強い「思い」を持つ人々は五分おきにこの「思いの再確認」を行っている。一日のうちに何回自分の目標を確認したかということで、その人の「思い」のレベルを知ることだってできる。一週間に一度とか、一ヶ月に一度というレベルでは何も達成することはできない。一日のうちに何回したかというレベルでなければ「思い」を持っているということはできない。
昨日よりも今日、今日よりも明日と少しずつできる範囲から「思い」を醸成していくことが大切だ。三日坊主で何も続いたことがないという人は、まず四日続ける努力をすることである。
これらが意識的に自分の思いを喚起する醸成である。自分の「思い」はどんな状況にあってもさらに強く醸成することができるのである。

なぜ私たちは「思い」を醸成していかなければならないのかというと、それはそうしないと人間としての本能である安楽を求める欲求に負けてしまうからだ。現実に、何かをやるということは、何をやるにつけても面倒なこと。そして面倒なことはやりたくないというのが人間の本能の一つであり、それは決して取り除くことのできない極めて強い欲求である。気を緩めていると私たちはその欲求に思考のすべて侵され、何もかも投げ捨ててしまいたくなってしまう。だからこそ、「思い」を自らの意志で醸成し続けなければならないのである。

 

(2) 発揮

強い「思い」は不思議な現象をもたらす。オリンピックでどうしても金メダルをとりたいと思った人は、その日から自ら進んで練習をするようになるだろう。また、どうしてもある事業をやりたいと思った人は自分がどのような状況におかれていたとしても、今できることから事業を進めていこうとするに違いない。

「思い」のレベルは自分の可能性をどの程度発揮するかを決める、強い「思い」は脳を活性化して知恵を出させ、積極的な行動へと駆り立てるだろう。生活に緊張感が生まれ、感覚が鋭敏になり、今まで気づかなかったことに気づいたり、それまで他人事だったことがすべて自分のこととして感じることができるようになる。私たち人間はどのような人であろうともあらゆる可能性がある。その可能性をどこまで発揮できるかは、自分がどのような「思い」を持ってものごとに取り組むかによって決まってしまうものなのである。

強い「思い」は自己の常識に対して変革を起こし、それまで自分が当たり前と思っていたことにも疑問を持つようになる。普通は誰でも自己の常識の中で生きているが、それはその常識に沿って生きることが楽だからということでしかない。ところが強い「思い」は楽に生きることを拒絶するのである。

自分の常識の中で理解できないことを否定するのではなく、理解できないことを理解しようとする。以前、若者たちのことを「新人類」と呼んだことがあったが、理解に苦しむ人の行動を一つの言葉で言い表してしまっただけで、理解を放棄しただけのことである。私たちはわからないことを一まとめにして、理解の放棄を安易に行うことによって安心する。そのほうが楽だからだ。しかしこれでは「新人類」のことをわかったことにはならない。本当に「新人類」を理解するためには、積極的に彼らと接し、またさらには彼らと同じ行動をとることも必要かもしれない。そうしてこそ、本当の意味で「新人類」のことが理解できるようになるのである。
このようなことの結果、他人の話を真剣に聞くようになる。「思い」のない人は他人の話に関心を示さない。「思い」のない状態のときには他人の話に関心を示したところで疲れるだけだからだ。一方、「思い」を持っている人はどんなものごとに対しても強い関心を示すようになる。それは少しでも自分の変革に役立てようとするからである。

その結果、「思い」を持った人の行動規範は無限に拡大する。長らく連絡をとっていなかった旧友に連絡を入れたり、書店で必要な書籍を手に入れたり、たとえ海外であっても必要な情報があると聞けば、すぐさま何とか都合をつけて飛んでいくようにもなるだろう。

また、強い「思い」はなかなか成果が出ないことであっても、あきらめずにできることを全力でやり続けることができるようにする。誰でも早く成果を出したいものだが、本気で思うと成果が出るかどうかに関係なくどこまでも努力できるようになるのである。そして努力し続ける限り、いつか必ず成果に結びつくことはいうまでもない。
さらに、「思い」は時間と空間を無限に拡大する。もちろん誰にとっても一時間という時間は一定だが、その時間の中でどれほどのことを成し遂げられるかは無限大にまで拡大できる。
私たちはともすると、さも人生の時間が無限であるかのようにまったく無意識に無駄に時間を消化してしまっている。一週間後も一年後もまったく同じ考えで同じことをやっている人がいるかと思えば、一週間で企画書を書き上げ、その後の一年で事業を軌道に乗せてしまう人までいる。また、たとえば毎日ただ新聞を読むのではなく、事業のアイデアを考えようと思って読んでみると、誰でも五分くらいで新しい事業を一つくらい思いつくはずである。必ずしも画期的なものではないかもしれないが、新規事業を考えたいと思ってこうして生活していけば、いつか必ずすばらしい事業を考えつくだろう。それは緊張感によって集中力が高まり、時間を最大限に有効活用するからである。

それは空間におてもやはり同様のことがいえる。強い「思い」を持つと自分の世界が急に広がってくる。会社と自宅の往復だけの生活から解き放たれ、世界中の情報に目がいくようになり、必要があると感じればどこへでも行くようになるだろう。
強い「思い」を持つほど行動に無理、無駄がなくなり、すべてが自然になる。無意味な時間がなくなって、すべてが最大効率化する。

 

(3)伝播

「思い」は他人に伝播する。自分と他人が共通の「思い」を持つようになるのである。強い「思い」は他人の心に共鳴し、他人をも同じベクトルの行動に駆り立ててしまう。

別々の夢を持った二人が会ったとする。二人ともそれぞれに夢は持っているが、その夢に対する達成したいという「思い」の強さはまったく違う。このように「思い」のレベルの違う二人が接すると、「思い」の強い人から「思い」の弱い人のほうに「思い」が伝播して、強い「思い」を持った人と同じ行動をするようになることがある。

当然、この伝播によって、強い「思い」を持った人は他人の時間と空間を活用することにもなる。つまり他人の時間と空間を自分の「思い」の実現のために使うことが可能となり、それらはさらに拡大されることになる。
自分の「思い」のレベルに応じて相手の能力が発揮されるのである。

「思い」のない人がどのような手法を講じたとしても、他人に「思い」を伝播することはできない。他人に自分と同じ「思い」を持つように強制したとしてもそれはまったく無駄だ。「思い」は持つことによって伝播されるのであり、どのように伝播させるかは問題ではない。何を伝えるかよりもどのような「思い」を持って接するかということのほうが重要であるからだ。

心理学ではピグマリオン効果と呼ばれる現象がある。ギリシャ神話で、キプロスの王ピグマリオンが自分でつくった彫刻の美女に恋いこがれてしまい、その姿を見るに見かねた愛の女神アフロディテがその彫刻を実在の人間ガラティアに変身させるというものである。この話にちなみ、こちらが本気で思うと相手がその気になるという現象をピグマリオン効果と呼ぶようになった。

経営者で自分と同じビジョンを社員が持たないと言って嘆いている人がいるが、その前に自分がそのビジョンを本当に達成したいと思っているかどうかを反省してみる必要がある。どこかでそれが自分の利益のためであったり、部下を言いなりにしようとする気持ちがあれば、それが相手に伝わってしまう。ビジョンを共有化するためには、経営者自身が何よりもそのことを第一に考え、真っ先に向かっていく姿勢を示す必要がある。

同じように、よく企業の中で人材育成をしなければならないと感じている経営者が、まったく「思い」のない担当者にそれをまかせたとしてもその結果は明らかである。本気で人を育てたいと思ったならば、そういう強い「思い」を持った本人が先頭に立って人材育成をはかる必要がある。

 

(4) 吸引

次のステップでは、「思い」のあるところに必要とされる経営資源が吸引されることになる。事業を推進するうえで必要とあれるヒト・モノ・カネ・情報・時間などが「思い」のあるところに集まってしまう。あらゆる経営資源はもちろん自らの行動で集めるほかに、人によって、人を通して集められる。共感した人々がその「思い」の達成のために努力するからである。

一つの「思い」に共感して集まった集団であることが、企業にとって望ましい条件である。たとえどんなに人が集まっていようが、それぞれが自分の利益のために集まっているというのであれば、人がいないに等しいといわざるをえない。なぜなら、そのような人々は自発的に行動しないばかりか、その人件費は企業を揺るがしかねないほどのコストになってしまうからである。

人材難の時代に多くの企業が膨大な経費をかけ、週休三日制や高額な給与といった待遇を売り物に人を集めたことがあったが、今そのようにして集めた人材の多くが企業の足を引っ張っているといわれる。企業の中にいる人材が生産価値を持っているものであるか、単なるコストでしかないかは、どのような「思い」を持って集まっているのかによって決まってしまうものであり、どのような能力を持っているかということとは無関係である。たとえどんなに知識、経験、能力を持っていたとしてもそれらを生かすことができるかどうかは、「思い」があるかどうかによって決まるものだからだ。

また反対に、たとえそれまで能力のない人々が集まったとしても、一つの「思い」に共感して集まった集団であるならば、それぞれが自発的に必要な能力をアッという間に身につけてしまうに違いない。さらにその自発的な行動によって必要な経営資源を次々に集めていくことだろう。

人材が「人財(価値をもたらす人)」となるか「人在(ただいるだけの人)」となるかは、「思い」に共感して集まったかどうかによるものなのである。

事業が成功するかどうかということと、経営資源を今どのくらい持っているかということはまったく因果関係のないことなのである。いやそれ以前に、はじめから事業に必要な経営資源をすべて持っているという人などいるはずもない。仮にいたとしても、いずれ必ず何かが足りなくなるだろう。しかし強い「思い」を持てば、どんなときでもたちどころに必要なものを集めてしまうに違いない。

経営資源は、はじめにあるかどうかは関係のないことで、あとから揃えるものである。起業家には「思い」を持って事業に取り組むことが必要なだけである。


(5)実現

そして最後に「思い」は現実化する。始めるときには「できる」という根拠のなかったものでも、あきらめずにやっているといつかできていることに気がつくだろう。「思い」が足りずに自分があきらめたときにのみ、目的は達成されなくなる。たとえ一時的にどんなに窮地に立とうとも、強い「思い」を持って臨めば、いつか必ず道は開ける。「思い」のあるところに必要なものが吸引され続け、いつの日か実現していることだろう。その「いつの日」も「思い」が強ければ強いほど早くなる。

しかしどれほど強い「思い」を持ったとしても、思ったときにすぐに現実化するわけではなく、時間的な猶予つまりタイム・スパンが必ずある。つまり今思っているレベル、内容に応じて二、三日後に実現することもあれば、半年、一年さらに何年もあとになって実現することもあるということだ。逆にいえば、今の自分の状態は過去に自分が思ったレベルになっているということもできるだろう。
私たちは過去の自分の思ったところにいるのである。

そして一方、私たちはこれからの人生を今、決めているともいえる。これまでの人生がどれほど寂しく惨めなものであったとしても、これからも同じような人生であるとは限らない。これからの人生がどうなっていくかは、今私たちがどのような「思い」を持つかによって決まるものであり、自分以外の誰もそれを阻止したりコントロールしたりすることはできない。私たちはこれからの自分の人生を自分の意志で自由に変えることができるのである。

「思い」の強さによって、どこまでのことができるかはあらかじめ決まっている。強い「思い」を持てばどんなことだって可能になる。私たち人類の歴史はどのような分野においても、不可能を可能にすることによってつくられてきた。またこれからも、人類は新たな挑戦に挑み続ける強い「思い」を持った人々によって、今では考えられないようなことを可能にしていくに違いない。

 

●二つの「思い」

このように「思い」にステップがあると同時に、「思い」は大きく二つに分類することができる。それは「我欲型の思い」と「貢献型の思い」である。

「我欲型の思い」は自分の私利私欲を満たすための「思い」であり、この「思い」を強く持ってしまうと、他人を裏切ったり社会に迷惑をかけたりすることにもつながる。偽物商品の販売による被害や、企業の不祥事などはこの「我欲型の思い」によって起きている。

誰でも我欲は持っているものだが、それを「思い」のもととして行動することは、人間社会そのものを否定することになってしまう。私たちすべてがこの「我欲型の思い」によって行動したとき、それはまさに動物社会と何ら変わりないものになってしまうだろう。
「我欲型の思い」でも一時的に目的が達成されることはあるかもしれないが、私たちが人間である限り、それはいつか必ず駆逐されるべきものである。

私たちが持つべきもう一つの「思い」、それが「貢献型の思い」である。他に貢献することを目的としたこの「思い」こそ、人間が人間らしく生きていく社会にとって必要なものである。社会に貢献する活動だけが企業の活動であるべきで、その報酬として売上が立つものでなければならない。

そう考えてみると、これまでの単なる売上高や収益性といった企業の評価には大きな問題があるといわざるをえない。そこでは我欲型の企業と貢献型の企業が混同されてしまっているからだ。これからは売上高の大きい企業が何でも評価されるのではなく、社会に貢献しているかどうかによって評価していく必要があるのではないだろうか。

 

 

3章「思い」のコントロール

●「思い」は意思でコントロールする

誰でも強い「思い」を持とうとすれば持つことができるし、持とうと思わなければいつまでたっても強い「思い」を持つことはできない。それは自分の意思でコントロールすべきであることはこれまでにも述べてきたとおりである。
「思い」はまた、感情によっても左右される。そのときの「感情」が「思い」をつくることがある。そして感情は何らかの外的要因によって起こるものである。

しかしそのような外的要因に対しても、その環境を自らつくり出していけばコントロールしたことになる。

つまり、たとえば強い「思い」を持った人々と付き合い、身近にそのような人々の存在をつくっていけば、彼らから「思い」を伝播され、自
分も強い「思い」を持つことができるようになるだろう。また自分で海外などへ出かけることによってそこで今までにないような体験や衝撃を受けることも、自ら環境をつくり出した結果といえる。行動を起こすことが自らチャンスをつくり出しているのである。

しかし外的要因を常に自分でコントロールできるとは限らない。自分が期待したこととまったく違うことが自分の身に降りかかってくるというのは誰にでもあることである。

このような場合、その出来事をどのように受け止めるかということによって自分の感情をコントロールすることが可能である。すなわちものごとはどんなことでも受け止め方によって、やる気が増したり、またやる気を失ったりする。このやる気を増すための受け止め方をプラス受信といい、やる気を失う受け止め方をマイナス受信という。

 

●プラス受信の三パターン

プラス受信には、客観的受信、好意的受信、機会的受信の三つのパターンがある。客観的というのは、そのときの状況を第三者的視点から考え受け止めてみること。たとえば何度も営業に通い、ほぼ決まりかけていた仕事が直前になって他社にとられてしまったような場合、客観的に見れば、営業とはそういうものでまたはじめから努力することが大切だと気づくだろう。

好意的というのは相手の発言・行動を好意を持って受け止めること。たとえば自分に厳しく当たる上司がいたとする。その上司はきっと自分の成長のためにわざと厳しくしているのだととらえれば、上司に感謝する気持ちにもなれるだろう。大した要件でもないのに何度も呼び出す顧客には、自分のことを本当に信頼してくれるから、または今後の大きな取引のために自分を試しているからととらえれば、今まで以上に積極的に対応したくなるだろう。

機会的というのはチャンスとしてそのときの状況をとらえてみることである。たとえば顧客からのクレームを今後のよりよい関係づくりのためのキッカケだととらえれば、誠意を持って積極的に対応したくなるだろう。

このように考えていけば、私たちに降りかかってくるすべてのことに感謝することだってできるのである。

そうはいっても現実に、そう簡単にプラス受信することはできないかもしれない。その場合は自分がプラス受信できるところ、小さなことから始めていけばいい。または、現実の行動としてはできなくともゲームとしてプラス受信を行ってみてもいいだろう。問題、障害、出来事に対してプラス受信をしてみると、どのように受け止めることができるのかということをゲームの中でやってみる。そうしているうちに次第に何でもプラス受信したほうがやる気になって、どんな問題、障害でも乗り越えていくことができるようになるということに気づくに違いない。

 

●「思い」は自由をもたらす

私たちはどのような生い立ちで、どのような環境の中で育ってきたかによってこれからの人生がどうなるかを判断することはできない。また現在、どのような恵まれた環境にいようとも、そこで充実感を味わうことができるわけでもない。

私たちが人生に意味を感じ人間らしく生きていくことができるかどうかは、ひとえにどのような「思い」を持っているかということで決まってしまう。

強い「思い」は自分を環境から解き放ち、自由で喜びに満ちた世界へと導いてくれる。厳しい環境ももはや制約条件ではなく、その中で道を切り開いていくことにむしろ大きな感動を感じるための必要条件になってしまうだろう。